オリジナルでつくった祝詞《三界祝詞》
天界・地界・人界の三界の渡しとして生きる私であれるように日々唱えれらるものとして生み出した三界祝詞です。
ようやくその解説文と言えるものができました。
よかったらご覧になり、必要であればご活用くださいね。
〜天地人の渡しを生きる〜
僕らは肉体を持って生きている。
でも肉体だけで生きているわけではありません。
僕らは魂を持っている。
でも、魂だけで生きているわけではありません。
僕らは言うなれば魂を宿した肉体。
言い換えれば、肉体を借りている魂。
たましいとは、本来こう書きます。
”魂(たま)魄(しい)”
魂とは御霊(みたま)のこと。魄とは肉体のこと。
両者の結合こそ、本来のたましい。
それは大いなるものから与えられたチャンスという名の賜わりし霊(=たましひ)
それを産霊(むすひ)という。命の結びである。
僕らには肉体を宿す前に御霊(みたま)として存在していたトキがあった。
そこには形がなく、それゆえに滅びという概念も存在しなかった。
形あるものは必ず変化する。ゆえに僕らのいるこの世界を無常の世界という。
形あるもののない世界、それを常世(とこよ)と呼ぶ。
常世の御霊たちは、氣枯れなき『天』より舞い降りた。
「死」が約束される人の世に、感情に振り回される憂き世に、思った通りにいかないことばかりの現世(うつしよ)に。
敢えて不自由なこの世界を選んだのは肉体をもってしかできないことがあるから。
この世界をほんとうに変えていくためには形にするということが必要不可欠だから。
それはとても勇氣がいること。でも、彼らはそれを選んだ。
その”彼ら”とは、私たち一人一人のこと。
僕らは勇氣をもってこの世界で生きることを選択した『天』より舞い降りし御霊だった。だが、ひとたび肉体を持つと滅びに向かう肉体を維持するために本来の御霊(みたま)の目的を忘れてしまう。肉体だけで生きてると思い込む。
どうか思い出してほしい。なんのためにここにきたのか。天つ神たちとの約束を・・
そして、僕らはこの世での使命を終えると肉体から離れる。そのとき、肉体は『地』に還る。『地』は肉体がいかなるものであっても迎え入れてくれる。醜くても汚くても受け入れ認め赦してくれる。大きな愛で包み込む。
それが『地』の役割。その愛の深さを想うとき、僕らは虚飾を脱ぎ、恐れを捨てて現世においてさえ御霊の望む方向へと歩みを進めることができる。
『天』に送られ、『地』に受けとめられる。
その間を生きる。
私たちは、天と地の間を生きる。天と地を渡すのだ。
それゆえに僕らは自分たちのことを”わたし”と呼ぶ。
天と地の間の世界を真ん中の国という意味で”中つ国”という。
中つ国の担当は人間と八百万の神である。
この世界に存在する八百万の神という森羅万象すべてと共に現国としての現世を形あるものとして創造していくのが人間がこの地に存在する意味。
その役割を全うするために必要な行いが”包身”を祓い、”氣枯れ”を浄めるという行為であり、そのための必需品が大麻であり、水。
それを日々の日常に落とし込めるようにオリジナルでつくった祝詞がこの『三界祝詞』。三界とは、天界・地界・人界を指す。その渡しを生きる私でありたいと。
後半は、
天つ神の力をひきだして本来の御霊の働きに返らせる祓いの言葉
とほかみゑひため
国つ神の大きな愛に委ねることのできる安心の守り言葉
あいふへもをすし
現世を共に創造していくパートナーである八百万の神の助けを得る言葉
あやま いきに ふぬう へえて もこけ をよろ すゆん しゐさ
最後に私たち人間は実行部隊としての役割を果たすよ!という宣言の言葉
あはら いちり ふむく へねせ もおれ をその すつる しなわ
を型魂としての力を持つヲシテ文字で記しました。お役に立てれば幸いです。
あなたがあなたの命を生き尽くすことができますように ・・ 山田祥平 拝